山内巡拝

番神堂
元和3年(1617)長連頼(ちょう つらより)公の御息女の眼病平癒の祈願満願成就の報恩のために 寄進された建物で、「報恩堂」と名付けられております。
現在は鞘堂によって覆われておりますが、番神堂の本体にあたる建物は杮葺き(こけらぶき)で、 400年という歳月の間にかなり風化が進んでしまっておりますが、往時の姿を今日に伝えております。
長家は加賀藩前田家の家老で、当地一円の守護職に就いており、当山へ寺領などを寄進した大檀越でした。
番神堂の左横には、連頼公とその奥方ならびに御息女の墓碑が現存します。 当山の寺紋も長家の家門「長谷部紋」に由来します。